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秘密の心 知っておきたい秘密 私たちの心の裏側

心の裏側<人というもの>human

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私たちは“人”として、生まれて育って、その中でどんな風に生きているのでしょうか。
私たちは“人”として、どんな風に生きていれば良いのでしょうか?

“人”って、何だろう?
そんな問いを、ご自分にかけたことはありませんか?
心の仕組みを通して、“人”について考えてみたいと思います。

自分に合う人っているのでしょうか?
自分に合う人、合わない人って、どこに区別がありますか?
自分の話に合わせてくれる人ですか?自分の話を理解してくれる人ですか?
自分を大切にしてくれる人ですか?

自分に合わない人は、どういう人ですか?
自分を誰かに合わせて生きているとしたら、合うも合わないも無く、合わせられるか合わせられないか、しか無いのかも知れません。

合うか合わないか、よりも、合わせられるか合わせられないか、が基準になっているとしたら、どう思われますか?

自分が合わせやすい人はどんな人でしょう。相手の言葉を理解しやすい人でしょうか。
それとも、お互いが合わせやすいということなのでしょうか?

私たちは、合うか合わないか、よりも、心の仕組みから見れば、“ビリーフ”を通して見た相手へのとらえ方で決めていると言えるのかも知れません。

私たちの心の仕組みは、相手をどう見るか、相手がどう見てくれているように感じているか、が基準になっていると言えるように思います。
もしもそうなら、相手が自分に合わせてくれる時、自分はどんな気持ちになりますか?

自分が居心地良く、相手を居心地良く出来る時、お互いをいたわり合う関係と言えるのかも知れません。

私たち、“人”は、心の仕組みから見ると、自分が相手に合わせていることに気づかず、相手が自分に合わせていることにも気づかず、お互いに合わせながら、関係性を築いていると思われます。
“人”のあり方は、“ビリーフ”という、過去の出来事で傷ついた自分の、心の痛みを通して、人を見て、自分をとらえています。

私たちが、お互いを大切に思い合うために、心の痛みは、どのように、相手に合わせれば良いのかを知るための指標(ビリーフ)を作り出しているのかも知れません。


人として

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自分のことを知りたいと思う人には、人のつらい面をお話しするかも知れません。

自分がどんなに嫌な人で、どんなに冷たい人で、どんなに憎まれるべき人であるかをお話しすることになります。

自分を守るために、自分は相手に八つ当たりをして、相手を悪者にしようとする質があります。
相手を人から疎まれる人にして、相手を誰よりも劣った人にして、相手を誰にも受け入れられないようにして、相手を自分とは別の存在のように扱うこともあります。
相手を自分の嫌な相手だと思うと、徹底的に排除したいと思うのは、人として当然です。

自分を防御する気持ちがあるのは、誰でも同じです。それが人の構造だと思います。

自分よりもはるかに価値のない存在のように見立てた相手がいたら、それを誰かに伝えて、相手を自分の最も嫌う人として意識すると、相手を排除しようとする質もあります。

嫌だと思った相手を、自分の理解の出来ない思考の持ち主のように思って、相手を自分の最も侮蔑すべき存在として誰かに伝える質もあります。
相手を自分よりも劣った存在のように思ってしまう気持ちを捨てることは難しいと思います。

人として、生きるための本能的な衝動は、相手を攻撃する方法を、誰かに話すという、少し厄介な関わり方をしようとします。

私たち、“人”は、自分と誰かの関係性に、嫌だと思う誰かを一緒に、悪く見ることで、関係を縛り合う質もあります。
お互いを縛り合う関係を崩す時、痛みを伴うこともあります。


私たちの、心の仕組みのベースは、本来は誰とも仲良くしたい、誰の心も自分と同じように捉えるという、歩み寄りの気持ちがあると思います。

縛り合う関係性に気づいて、お互いを歩み寄りのベースに戻す時、自分と相手をいたわりながら、“人”は変われると思います。
お互いの理解があれば、必ず変わることが出来ます。

自分の心の構造を知って、共に理解をし合い、生き方を変えて頂くことが出来るのが、“人”の本質ではないか、と思います。



自分の守ること

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私たちの守りたいことは単純です。

自分の名誉、自分の尊厳、自分の価値、自分の信頼、自分の自信、自分の大切な知恵、そして自分の命。

私たちの守らなくてはならないことは、相手との順調な関係性と自分のために尽くしてくれる人間関係、自分のことを大切にしてくれる仲間達、自分が蓄えたお金、自分の大切な自分自身。

自分が守りたいことは、ほとんどが自分の欲によって生まれています。


私たちは、お互いに、嫌な言い方をすれば、監視をし合う関係を持っています。
相手が別の誰かと親しくなると、嫌な気持ちになって相手を少し嫌な目で見ることもあります。
相手が自分の話を聞いてくれないと、嫌な気持ちに加えて、少しすねたような視線を投げかけることもあります。
相手が自分に気づいてくれないと、嫌な気持ちを持ちながら、相手が気づいてくれるまで、何かしらの策を練ることもあります。

相手が、自分に微笑んでくれると受け入れられた気持ちになります。
相手が、自分の話にあいづちを打ってくれると聞いてもらえた気持ちになります。
相手が、自分を見ているだけで受け入れられている気持ちになります。

私たちは、相手が、自分を見ているか、誰か別の人を見ているか、無意識に監視をする質があると言えます。

私たちが、自分への相手の気持ちを求めるのは、“人”の本能的な、心の構造があるためと思います。
そういう自分を理解出来ると、人との関わり方も変化すると思います。



自分の捨てたい欲求

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私たちの捨てたい欲求は単純です。

自分の余分な人間関係、自分の使わないモノ達、自分のしがらみ、自分の捨てきれないパートナーシップ、自分の冷たい気持ち、自分の嫌な面、自分の見えない他人から嫌われる部分、自分の捨てられない命、自分の中のネガティブな感情、自分の中に沸いてくる他人への批判、自分のことを理解出来ない自分自身の疲弊した客観的な自己防衛心。

私たちの捨てたい欲求の中には、自分のことを憎む自分の心があります。
自分をどれほど憎んでも嫌っても嫌悪しても、自分を切り離すことは出来ません。自分がどれほど嫌な・他者に疎まれる存在で・憎まれても仕方のない汚らしい心の持ち主でも・自分を捨てることは出来ません。


自分は他人に関わって生きていきたい。誰かに気持ちを聞いてもらいたい。
誰かと分かち合いたい。誰かに話しを聞いてもらいたい。
時には誰でも構わないから聞いてもらいたい。
自分の気持ちに誰かを大切に思う気持ち、誰かを助ける力、他人の気持ちに寄り添う力、自分がどれほど誰かと共に生きていたいか。
本当は、言いたいことは、簡単で単純なことばかりなのかも知れません。

自分がどれほど誰かを大切にしたいか。どれほど自分が誰かと居たいか。
それを言葉に出来たら、きっと優しい社会になると思います。

私たちが求めているのは、本当は、相手と共に過ごすという、決して避けることの出来ない人間同士の関わりの中にある、自然な喜びなのではないでしょうか?


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